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3月27日。ヨーロッパのビャウォヴィエジャの森にて行われた、ヨーロッパ人狼戦線3…
銀誓館では、それはポーランドの森だと言われてきているが、一部の人は、
それは間違いでは無いが、ちょっと言い過ぎだという事を知っているだろう。

そう、ビャウォヴィエジャは、ポーランドと、もう1つの国に跨っているのである。

「……やっぱり、日本って遠いですねぇ……」

飛行機のチケットを見て、溜息をつく少年。
彼が居る場所は、ベラルーシ。ミンスク国際2空港である。
知っている人は知っているが、ベラルーシから日本は、それなりに遠い。
安いと一人8万くらい、高いと30万くらいする、意味の判らない金額だ。
彼の家はそれなりに裕福なので別に大丈夫なのだが、それでも気になる値段である。

とにかく、日本に行くと決意してしまった物はしてしまったので、そのまま飛行機に乗る。
長い道のりなので、何故こんな事になったのかを思い返すには十分だ。

ビャウォヴィエジャの森は、ポーランドと、ベラルーシに跨っている。
どちらでも、世界遺産に登録されている、美しい原生林だ。
正確には、国境からポーランド側をビャウォヴィエジャ、ベラルーシ側をベロヴェーシと言う。
銀誓館と異形が死闘を繰り広げた、ビャウォヴィエジャの森。
ベラルーシとポーランドの国境付近のブレストに住んでいた彼には
すぐに、何かが起きていると判った。けれど、「近付かないで」と他の皆は言った。

『ゴーストが原因で起きている事件に関わろうとしない』……世界結界の力である。

その日の夜、不思議な夢を見た。
何度も何度も、「負けないで」とか、「死なないで」とか、
色々な声が、話しかけてくる夢。それは、カタストロフ中に銀誓館の皆が心の中で叫んだ言葉。
霊感が強いと自覚している彼は、その声が日本を拠点とする何かの物であると感覚で知る。

そして、その者達が戦っている「モノ」が、父親の仇であるとも。

「……コースチャ…ごめんね…これは、ワタシの我儘だよ……」

  『セリョージャも良い詩を作るな、流石私の息子だ』

嬉しかったのに。嬉しかったのに。うれしかったのに。うれしかったのに。

いつの間にか目覚めていた能力者としての力が、引き寄せたのだろうか。
それとも、単なる偶然、不幸だったのか。

あの時、『得体の知れない物』の存在を認めるのが恐くて恐くて恐くて、
ビャウォヴィエジャの森の一件があるまで、目を背けてきた。
自分は、「家族を見捨てる」というとんでもない事をした。
けれど、何をすれば良かったのか判らないから、そんな罪深い行為にも、目を瞑ってきた。

  あの時、何をするのが良かったのか。ワタシは逃げただけだった。
    しかし、逃げなかったら、何かできたのだろうか。
      ……逃げなければ、死んでいたのではないだろうか。

その思考を、あれから何回しただろう。
今も、止まる事を知らない。いつかは止まると信じているけれども。

「その為にも、日本に行こう。」
あの、『得体の知れない物』と戦える組織があるのなら。
戦う事、生き残る事が、罪滅ぼしとなるのなら――。


10時間を優に越えるその飛行機のフライトを終えると、
次に成田から鎌倉に向かうという面倒な旅が待っている。
2時間程の、乗り換えもちょっと多い。事前に調べてきたメモを見て、もう一度溜息をつく。
成田から品川へ。品川から大船へ。大船から鎌倉へ。

しかも、立つ。人が多いのでそれが当たり前になってしまう。
日本人からすれば珍しい、赤っぽい髪と、不思議な瞳が
他の乗客の関心を集めるけれども、それは直ぐに止められる。
生活を壊された虚無感と、ゴーストへの憎しみが、彼の瞳を歪ませ、光を失わせた。
見つめられたら呪われそうな、そんな瞳で少し睨めば人は直ぐに眼を逸らした。

昔は、そんな眼じゃなかったのに。

そんな思考をしながら、唇を噛み。人の視線を感じる、少し長めに感じる電車の旅も終わりを告げる。
同じような思考を何回も何回も繰り返すので、時間の経過を曖昧に感じてしまうのだ。
しかし、そろそろそれも終わりそうだ。

鎌倉から、詠唱調律車両に乗り、銀誓館学園へと辿りついた。
校門に入った時点で、やはり「そういう」学園だったのだと、直感する。
きっと、彼と同じような境遇だろうと眼に見えて判る人も居る。
外国人も日本人も入り混じっている。そして能力者も……

がくんっ

確かな安心感を感じた直後に、足から力が抜けてしまった。
………………物凄い、眠気だ。

(「ああ……かなり疲れましたからねぇ…… …でも此処で寝たら他の人の迷惑に…」)

昔からそうだ。疲れると、一気に睡魔が襲ってきて、前後も判らずにいきなり眠る。
凄く歩いたし、凄く立ったし、凄く座った。まあ、寝ても良いだろう、此処まで頑張ったのだから。
そう、思い直して、完全に眠った。
…勿論、同じ時間に登校してきた人――能力者か否かは判らないが――に
保健室に連行された。

「……丸一日寝てたんですかぁ?」

彼が銀誓館学園で、初めて存在を知った部屋は、教室でもなく、事務室でもなく、
保健室だった。

…ともあれ、新しい、日本での生活が此処から始まりそうだ。

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「それ」は、内側の世界だけで展開していた戦争。
一つとして、命は奪われない、ある意味最も平和な戦争。

開戦は、【俺】の家が蒸発して、少し後……


「……っく……!」
いつものように、悪い夢を見る。まだ、蜘蛛達は満足していないようだ。
家が蒸発して、仕方なく別の場所に入れられても、到底満足できない生活が続いた。

飛び起きて、冷や汗を拭って、苛々したように手を強く握る。
「いい加減にしろ……ッ俺はこんなの絶対に受け入れねぇぞ……」
ギリギリと歯を食い縛って、腕から血が滲みそうな強さで爪を立てる。
何時からか溜まっていった、【持ってはいけない感情】。此の時はまだ、気付いていなかった。

其処は孤児院というか、あての無い者達が集まるような所だったが…
その中でも何というか、「精神が異常な者」が溜まる場所。
加え、管理者も何が起こっても「いつもの事」と割り切ってしまうような人だ。

……放っておけばゴーストタウンになりかねないような。

『ぎっちゃん、魔法陣って知ってる?』
『へ?あの、何か丸に五芒星とか描いてある奴?』
『うん、そう。それってね、ちらっと本で読んだんだけど、お願い事を叶える力があるんだって』
皮肉。皮肉。会話は思い出せるのに。名前は、思い出せない。
しかも、そのせいでその戦争は始まった。覚えていなければ戦争は始まらなかったかもしれない。
『この魔法陣はね、』

「あらゆる不利な状況を……覆す陣……」
何かに取り憑かれたように生気の無い声を出す。
いつの間にか、腕から出ていた血を見つめて、次に掌についた血を見て、
尚も記憶の中にある彼女の声を辿っていく。
『でも…こういう陣って、本当にその事を強く望まないと効力が発揮されないんだって』
それらの言葉で、【俺】は何故か本を読み始めた。
自分と、何かで繋がっているような感じがした。「これ」が、自分を変えてくれる物だと。

事実。自分は能力に目覚めた。良いか悪いかは、別として。

「開放されるなら……幾等でも望んでやらぁ……」
指が床に描いていく、逆三角形のような物が目立つ陣。
知らない人が見れば、何故こんな物が描けるのか判らないだろう。
周りに描いていく、日本語とも、英語とも違う言葉。
「主の怒りに地は揺れ動き、天の基は震え――」
詠唱する内に、ある事について疑問に思う。
……何故だろう。こんなにも、周りのモノが憎々しいのは。今迄、こんな感情は感じていなかった。
【中身】をこじ開けられて、隠していた感情が曝け出されるような感覚がした。
そして、その原因はすぐに明らかになる。

『ああ、多分それ、オレの感情だわ』
くすくすくすと、後ろから聞こえた声。びくりとして、周りの気配を探るが…何も感じられない。
それは、後ろに居るモノなんかじゃない。

――中にいるモノだ。

『ははっ、そんな驚いた顔すんなよ……それより、どう?オレなら此処に居る奴全員殺せるよ?』
「……え?」
自分の声が、頭に…「全く違う存在」から発せられるのにも驚いたのだが……
目の前の状況にも驚いた。

床にあるのと同じ魔法陣が、前に生成される。……今で言えば、魔弾の射手である。
【俺】の意思とは無関係に生み出され、無慈悲にその効力は発動される。
魔弾の力を内側に逆流させるこのアビリティは、当時の【俺】には相当危険な物だ。
「…っぐ、ぅ ぁああ があああっ!!」
実際は、そうではないだろうが……体を流れる血が逆流して
体が熱くなるのを感じた。他のモノに気を取られて「覚悟」が薄れ、
かつ今迄魔弾の射手を使った事が無い【俺】にとって、それはそれは
……惨いモノで。

ドサクサに紛れてか、中から聞こえてくる声は確実に【外】に出ようとしていた。
『御前も結構エグイもん貯めてたよ?御前の分も発散してやっからとっとと外に出しやがれ』
まるで、凶行に駆り立てようと誘う、悪魔のような存在を自分の中に感じる。
声が響く度に頭がガンガン痛み…それもまた、理性を失わせるような。
頭を押さえて、何回も【奴】に話しかける。

やめろ。やめろ。やめろ。

『さっきだって苛々してたじゃないか。こんな世界、直ぐオサラバしたいんじゃないのか?』
……そうだ。たしかに感じていた。……そうだけど。

『……望んだのは御前だろ?此の状況をひっくり返したいんだろ?』
「っそ、……勝手に外に出てくんな…… ……何なんだよあんた!!」
くすくす笑って、何を愚問を、と呟いてから、さっきとは比べ物にならない程近くから声が聞こえた。

『【オレ】は、【俺】だよ?』

憎ラシイ、憎ラシイ、憎ラシイ。
精神が壊れそうな勢いで、頭に繰り返し声が流れる。
「ぐ…ぎっ、……っやめろって…言ってんだろォ……ッ!!」
実際、「その時」には壊れていたかもしれない。……今は、直っているけれども。

精神の攻防は、何分続いただろう。

「……思ったより抵抗されたけどまあ良いや……こうなっちまえばある程度はオレのやりたい放題だし」


血が、滴った。

この戦争は、彼の中でだけ繰り広げられる戦争。
理論的に言えば、血は「一人」にしか流れない、最も平和で、最も摩訶不思議な戦争。
恐らくこれはどちらかが死ぬまで続くだろう。


今現在は、【俺】が優勢――。

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 「……眠……」
布団から目を擦りながら起き上がり、思い切り背伸びをする。【私】にとって、今日は何の日でもない。ただの、普通の日常。休日。
今日も今日とて、迎えに来るように現れた黒猫を見て、くすりと笑う。猫は身震いをして、その後に耳を掃除するようにくるくると足を動かす。その様子を見守るように眺めてから猫の頭を撫でてから蛹は立ち上がった。
「行きますか」
彼が向かうのは、黒猫の導く先。

今日の話題は主に妖狐の入学。猫耳、狐耳に弱い学園にとって、これほど喜ばしい事は……無いのか?
蛹もそれは同じである。いや、別に耳とかに興味があるんじゃなくて、仲間が増える事に喜びを感じているのだ。かつて敵対関係であった我らと人間達の間に、これほど良い関係を築けているのは少し変ではあるけれども……それでも、【俺】が今の状況に満足しているのは間違いない。妖狐達にとってもそうあって欲しいと、強く願うばかりだ。
そういう話ばかりでなく、他愛も無い話を続けている内に、
「今日は蛹さんの誕生日ね。おめでとう」
あまりにも不自然な流れで、赤い吸血鬼が蛹に話しかける。何故だか、ぞわっと体が反応する。
『……え……や、やば、忘れてた!?』
そう、彼は今の今まで自分の誕生日である事を忘れていたのだ!
「おめでとな」
「おめでとうっ!」
流れるように放たれるその言葉に、徐々に落ち着きを取り戻しつつ、『それぞれの言葉』に軽く言葉を返す。今まで、こんな事はあったはあったのだが、最近は本当に無かった。
自分の感情を封じ込めてきたせいでもあるのだが、あまり人に賞賛される事に慣れて居ない為……少し対応に手間取った。
「あ、ありが…と…な…」
誰にも判る、妙な苦笑を浮かべながらそそくさとその場を去った。

 「蛹」
夜風に当たっていた蛹に前に現れたのは、彼の主たる土蜘蛛の少女である。
少女といっても、吊り上げられた強い瞳には炎のような意志を感じる。【私】が最も『感情』を寄せる存在でもある。
「……なんですか」
溜息をついて返事を返すと、相手も目を瞑って軽く溜息をつき……手に握られていた詠唱銀と――弱弱しい外見のマジカルロッドを差し出した。
「好きに使え。お前の新しい武器だ」

え……?

意味を理解して、ただ頷いてそれらを受け取る。
自分に合った、詠唱兵器を創るため。

「……行ってきます」
にこりと笑って、屋上へと走る。マジカルロッドを、強化するため。

 「……【私】には、もっと強い力が必要だ……この和弓よりも、強く、速いモノが必要……」
和弓は、射撃の力が備わっているが、どう頑張ってもその大きさ故に素早い移動ができなくなってしまう。それに、彼が入学時から求めていたものは、魔弾術士としての詠唱兵器だった。
入学時には、彼は「土蜘蛛の巫女」だと言った。まあそのせいで和弓をもらってしまったという感じだ。今の【私】は、マジカルロッドが欲しい。【私】に合った雰囲気と、【俺】に合う形状を。目を瞑りながら、強く頭の中でイメージする。

イメージが銀に取り込まれ、やがてそれがマジカルロッドに流れ込んでいく。
そうした過程を乗り越えて、頭の中が空っぽになった瞬間に――
彼は目を開けた。

マジカルロッドにしては巨大で、蠍の尻尾のような刺々しく、かつ禍々しい外見。
しかし、天国を思わせる神聖な雰囲気を持つマジカルロッド。

それを見届けると、今まで使っていた和弓をイグニッションカードから取り出して、バラバラに分解した。

 「感謝します……揚羽様……」

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 葛城・蛹という【人間】が、能力者の力に目覚めたのは、そう遅い事ではなかった。
彼が暮らしていた家は、彼の本当の家じゃない。家族の顔を覚えない内に養子として引き取られ、何も考える事なく平凡に暮らしていた。……彼が、力に目覚めるまでは。
「ぎっちゃん本当に本読むの好きだよね。あたしはそういうの判らないから嫌だけど」
そうそう、そういうあだ名もあった。最も、そう呼んだのは彼女だけだ。

名前は、覚えていない。

笑って、言葉を返したのは覚えている。けれど、その返した言葉は今となっては覚えていない。
その家には魔術やら占星術やら、オカルトな本が多かった。別に伝統あるとかそういうのじゃなくて……住んでる人がそういうのに興味があったから、だけのこと。
「解き放つは炎の術式。我が呼び掛けに応えし者よ、禁忌の扉を越え、我に力を与え給え。
 数多に存在する魂達を、完全なる姿に定着させよ。」
軽はずみだった。本棚にある魔術やら何やらの本を漁っていただけなのに。それは、【俺】に魔弾術士としての力を与えた物。

ドカン。ドカン、ドカッ……

 何日か後の話だっただろう。ドアを叩く、乱暴な音。まるで突き破ろうとしているかのように大きな音と衝撃が伝わってきた。危ないなあと思いつつも、【俺】をぎっちゃんと呼んだその子が、たどたどしく玄関へと走っていく。
「どなたー?」
開かれた扉の向こうにいたのは、
「あれ…犬?どうしたんだろ」

否。それは、巨大な、黒い蜘蛛。
ゾクリとした寒気を感じ、瞬きする事もできずに、只【俺】はそこに立っていた。犬?違う。それは、蜘蛛じゃないか。
まあ世界結界の力と言った所だ。蜘蛛童は、一般人には犬に見えるのだという。

ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。

心臓が強く鳴り、冷や汗が吹き出してくる。別に恐怖とか、そういう物を感じていたわけじゃない。表現しようのない何かに頭を侵食されているような気がして、その時は何も考えてなかった。
「…ぎっちゃん?どうしたの?」
『巫女様、葛城山ニ帰ロウ』
彼女の声も耳に入らずに、代わりに頭に再生されたのは、そんな声。その時はまだ土蜘蛛の巫女の力は覚醒しておらず、内側に素質が存在しているだけだった。しかし、葛城家の血を受け継いでいるのだからまあ当然といえば当然なのだが……ともあれ、蜘蛛童には【俺】が巫女となるべき人間なのは本能で判ってたようで……
将来仕えさせる巫女を探して、引き寄せられたのかもしれない。幸いというべきか?蜘蛛童には、模様は無かった。つまり、膨や爆に進化していないものだった。
その時、【俺】は本を持っていた。運が良かったか悪かったかは別にして、戦う力がそこにはあった。無意識に、言葉が紡がれていくのが判る。詠唱が終わった後に、蜘蛛童に狙いを定め――その術の名前を呟く。【魔弾術士】という能力者と、【魔導書】という詠唱兵器の姿がそこにあった。

「雷の魔弾」

本がその言葉に反応するかのように光り出し……その意味を知るのに時間はかからなかった。
「……わっ……!」
本から飛び出すように解き放たれた、雷。狙いは定まってないし、一点集中等の精度は今の【それ】と比べると大した事無いものだったが、当時の【俺】達には恐ろしいものだった。
禁忌の魔導書とは良く言ったもので。雷鳴と共に降り注いだその1つの雷は蜘蛛童を消滅させ、家全てを巻き込んでしまい――家は形を無くしてしまった。

「……これ……」
当時には、術力もあまり無かった為魔弾を撃った後すぐに気絶してしまったようだが、目覚めた時には色々と一変していた。目の前には、誰も居なくて何も無かった。勿論、彼女の姿もどこにも無かった。
「○○……?」
彼女の名前をそっと呟いて、状況を冷静に理解した。


まあとりあえず、一般人には理由が判らないものの家が全焼したという事で【俺】は別の場所で暮らす事になった。その後も、惹かれるようにしてやって来た蜘蛛童は全て消滅させた。皮肉な事に、本来崇拝すべき蜘蛛達を【利用】する事によって、魔弾術士としての力の精度が上げられて行った。

 でも、そこで暮らす時間もそう長くは無かった。

「葛城・蛹……ですね?」
名前を呼ばれてふと上を見る。刃のついた帽子を被った……鋏角衆。
「将来の巫女である貴方が蜘蛛童を消滅させた罪は重い」
「誰だあんた」
巫女。蜘蛛童。消滅。知らない言葉だ。
「……まだ力に目覚めてないのですね」
は?と相槌をうった【俺】に鋏角衆は土蜘蛛族の全てを語り出した。土蜘蛛族の存在、習性等――それと、巫女の事。葛城家というものが、高位の巫女の一族であるという事。
「で、俺にどうしろって?」
大体言われる事を予想できたが、鋭い目で鋏角衆を睨み付けて問う。その様子に軽くため息を付くと、相手は前と同じ事を繰り返すように言った。
「葛城山にお戻り下さい。罪人とはいえ、今は巫女が必要なのです」
罪。それはきっと、あの蜘蛛を消滅させた事。
「あれが?あれが?あはははっ……!馬鹿馬鹿しいッ、実に馬鹿馬鹿しい」
くつくつと笑うようにして下を向きながら呟く。【俺】にとっての罪は、そんなものじゃない。
【俺】の罪は――
「『あれが』……!?真実を知らないとはいえ、土蜘蛛様の眷属である蜘蛛童を侮辱するなんて……」
「帰れッ、鬱陶しいんだよッ!!」
両手を前に出して、術式を編みこんでいく。【俺】はもう、その時には魔弾術士の力はそれなりに制御できていた。だから、炎の魔弾を発動する事なんて、容易な事だった。形を成していく炎を見て、相手も一先ず諦めたのか少し後ずさると、
「……気が変わったらいつでもどうぞ」
そう言って、去っていった。息は荒いままだった。溜息をついてから、色々考えている内に【俺】はその日を通り過ぎていた。
 
 鋏角衆が訪れた時から、嫌な事が続いた。
「………っは………!」
毎晩、変な夢を見るようになる。とりあえず、毎日内容は違うけど蜘蛛だけは必ず出てきていた。夢の中で、彼らは何回も何回も頭の中で囁いてくるのである。
『カエロウ』
『ドウシテ ドウシテボクヲコロシタノ』
目覚める度に、体中に激痛が走って、頭を抱えて、息を荒くしながら歯を食い縛って……その繰り返し。一度目覚めるともう寝る気を無くしてしまうのだが、どうも精神が削られてしまうようで……眠らないと体がもたない。
「……熱、あるし……」
もっと日が経つと、悪夢だけに状況は留まらなくなった。体中に寒気が走ったり、頭が重かったり……勿論、悪夢もずっと続いていた。しかも、段々質が悪くなっているのだ。
夢で見たのは……いや、見せられたのは、知らない、舞。それと、何かが蠢き、他人の体の中に取り込まれていく様。この二つを、代わる代わる何回も夢で見た。見る内に、映像を介してその『やり方』を理解していく。
 
赦しの舞。
祖霊降臨。
 
それらは、夢を介して無理矢理【俺】に伝えられた。もしかしたら、偶然だったかもしれないけど。精神的に参っていたから起こってしまったのかもしれないけど……【俺】にとっては、【土蜘蛛】が引き起こしている物だと感じられた。
「しつけえな……土蜘蛛サマ……」
苦笑いをしながら、額を覆い、冷や汗を拭う。その時に、ふと頭に言葉が過ぎる。
『……気が向いたらいつでもどうぞ』
手に覆われていた目を見開いて、頭の中で高速で考えを巡らせる。それが進む度に、無意識に表情が変わっていく。これが、きっと、狂気というもの。
「……ふっ、……あははははッ!何が気が向いたらだよ……
 どうせ、【俺】がする事なんて決められていたんじゃないか!」
 
 まるで、土蜘蛛の祖霊に取り憑かれたかのように見た悪夢。
 教えられるかのように視た舞と祈祷。
 促すかのように出た高熱。
 
それは、【俺】に土蜘蛛の巫女となる事を強制させる物。
「土蜘蛛サマ……【俺】はそっちには行かないよ……誰かに指図を受けるなんて冗談じゃない」
尚もくつくつ笑いつつも、段々その声に怨念に似た物が混じっていく。
「【 】を寄越すからさ……【 】の事を存分に可愛がってくれよッ!」
 
 
 迎えに来るかのように現れた蜘蛛童。【私】がする事は、決まっていた。
 
 
 
もう【俺】はこの世に必要無いだろう?
なら【俺】は自分を殺そう。
殺せないなら、せめて眠らせよう。
 
 
じゃあな。また会えるなら会おうぜ。
 
   コンニチハ。ハジメマシテ。
 
【オレ】ハマダンジュツシノカツラギ・サナギ。
 
   【ワタクシ】ハツチグモノミコノカツラギ・サナギ。
 
ダレモ【オレ】ノコトヲリカイデキナイ
 
   ダレモ【ワタクシ】ノコトヲリカイシテハイケマセン
 
【オレ】ハチョットネムルヨ
 
   全ての権利を捨てて、【私】は土蜘蛛に全てを尽くしましょう
 
 
だって罪人だもの。

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 土蜘蛛族。それは日本に古来から存在していた蜘蛛の来訪者達。
葛城山。それは彼らの拠点であり、聖地としていた場所。
土蜘蛛達は女王が産む卵から孵化し、蜘蛛童と呼ばれる巨大な蜘蛛として生まれ、時を経て土蜘蛛、又は鋏角衆へと進化する。
基本的に、土蜘蛛が最も高位の存在であり、鋏角衆は「出来損ない」と虐げられる。又、土蜘蛛に仕える人間達を土蜘蛛の巫女と呼んだ。

「来た…蜘蛛童が進化するぞ!」
葛城山で孵化した蜘蛛童。【彼女】は鋏角衆に育てられ、遂に進化の時を迎えた。その蜘蛛童の背中の紋様は、赤い色。「爆」と呼ばれる蜘蛛童の最終形態だ。今まで育て上げてきた鋏角衆は仲間の鋏角衆と共にその誕生の瞬間を見守る。

パキ。ピキピキ…

蜘蛛童・爆の殻を突き破り、鈍い音と共に誕生したのは幼い少女。
感じられる確かな気魄。爆の赤い紋様と同じように、炎のような赤い目が印象的だった。その目はこの上無く虚ろな物で、何も見えていない様にも見えた。
「…土蜘蛛だ…やったぞ、土蜘蛛様だ!」
力の強い土蜘蛛に進化する者はそれだけで他の土蜘蛛族に崇拝される。歓喜の声にも反応する事なく、少女自身は只彼らをその様子を虚ろな目で見ていた。

 それから数日が経ち、虚ろだった瞳にも強い光が宿り始めた。
土蜘蛛に伝わる武器である赤手も馴染むようになった。
好奇心旺盛な性格だった彼女――揚羽と呼ばれるようになった少女は
進化してからずっと、屋敷にある本を読み続けていた。
「又本読んでんのか~?ちっとは外に出ようぜー」
無表情に本を読んでいた揚羽に土蜘蛛の少年が声をかける。
土蜘蛛族は子孫を成長させる為に人間を襲う必要があった。
その為には教育係となる鋏角衆や土蜘蛛もそれなりに強くなる必要があるのだ。だから彼らは戦闘訓練も怠らない。それは彼女も同じだった。
「…只の暇潰しだよ」
溜息をついてそう呟き、読んでいた本を元の場所に戻して立ち上がる。

戦闘訓練は、嫌いだ。生まれてから、自分に戦闘能力が他の土蜘蛛と比べてアンバランスだったからだ。…いや、寧ろバランスがとれすぎていて特筆されるべき能力が無かったのだ。
…それに加え、普通は土蜘蛛族が特化しているべき能力がほぼ皆無に等しかったのが何よりも苦痛だった。他の奴にはできるのに、自分にはできない。
「今日、霊感の訓練だってさ」
軽々しいその言葉にぞくりとした寒気を感じる。
霊感と変な言い方しているが…まあ銀誓館学園では【神秘】の能力値だと思えば良いだろう。
自分には他の土蜘蛛と比べて【それ】が確実に欠落していた。
霊感がある程、蜘蛛の糸の扱いや癒しの力が強くなる。
初めは、そこまで気にしていなかった。いや、このまま気にせずにいる事もできただろう。陰湿な、差別と虐めさえなければ…

 「何故こんな簡単な事ができない!?この能無しが!」
屋敷の地下に響き渡る声。それを只黙って聞いていた。
声の他にあったのは、微かな自分の泣く声だけだっただろうか。
「貴様、それでも土蜘蛛か!」
飛斬帽が飛んできて、自分の肩と頬を掠める。
びしゃり。血が微量飛び散ったのが良く判った。自分が生まれた、あの時と同じ虚ろな目から涙を流しながらじっとしていた。…自分には反論する勇気が無かったから。
「ごめんなさいッ…ごめんなさい…!」
その鋏角衆は不機嫌なまま部屋を出て行った。
…あの時から、自分には悪い癖があった。

一つ、自分の悪い所を改善しようとしない所。
二つ、失敗を全て背負いきれもしないくせにしようとする所。

 その後も、土蜘蛛達からも差別を受け始めた。
霊感が無いのは変えようの無い事実だ。一度生まれ持った力は基本的に変わらない。…今はジョブチェンジという物があるのだが、土蜘蛛としての力を受け継ぎ続けるというのなら無理だと判るだろう。
「貴方が土蜘蛛なら、どうして私は土蜘蛛になれなかったのかしら?何よりも深い謎ですわ」
「お前が一緒だと気が楽だよ、だって大体怒られるのお前なんだもん」
そんな声ばかりが耳に入って…だから、その時から自分は他人に心を開くのをやめた。信じれば、いつか拒絶されて遠ざけられると思ったから。
調べると、自分は土蜘蛛として進化する為のボーダーラインをギリギリで超えていたのだという。一歩間違えれば、鋏角衆へと進化していたという事だ。正直、そっちの方が気が楽だったかもしれない。

…鋏角衆なら、最初から出来損ないと言われるのだから。

 しかし、ある日自分にも、相手にも信じられない出来事が起こった。
「貴様……いい加減にしろよ!」
同じように、鋏角衆から怒鳴られていた時。いつもとは違う自分が其処に居た。いつもは、虚ろな目をしている筈なのに。その時の目は、何やら……嫉妬と憎悪に満ちた物になっていた。
これは、まごうこと無き今まで溜め込んだ【ストレス】だった。
もし黒燐蟲使いであるなら、即座に【呪いの魔眼】が発動しそうな強い目で鋏角衆を睨みつける。その瞳に相手が後ずさるのが判る。
「な、何だよ……何か文句でもある…の…」
自分の影から伸びる、黒い腕。自分の意志ではない。只、自分の感情に反応して伸びる影。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ、」
溜め込んでいた物を吐き出すように喋り続け、腕も又その言葉に反応するように速く伸びていく。
「黙れぇぇええッ!!」

グシャリ。

叫んだ、その言葉を具現化したかのように、黒い腕が鋏角衆を引き裂いた。
その事件は屋敷の地下での事だったので地上の者達にも聞こえたようで、一部の土蜘蛛族が走ってくる。
だが、その時の皆はいつもとは反対に、恐れに満ちた様子だった。私自身も又、自分に恐れを抱いていたに違いない。
「……何、やってんの……?これ、貴方がやったの……?」
細々と喋り出したのは、自分を虐げた鋏角衆の1人だった。恐がっていた。近付きたくない、そう言っているかのようだった。血と、黒で満ちた其処には少々沈黙が訪れた。
沈黙を破ったのは、彼女自身の声。

「いやぁああぁあぁあああっ!!」

方法は何であれ、これで霊感が欠落していた彼女には、代わりに魔力や気力は宿っていた事が明らかにされた。

 その黒い腕の名は、ダークハンド。

 彼女に付けられた二つ名は、【邪なる見えざる手】……。



 時が経ち、土蜘蛛達は【封印の眠り】につく事になった。

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[05/20 ジョニー、アルフレッド]
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